いせさき明治館|歴史を感じる和洋折衷建築と伊勢崎銘仙に感動
伊勢崎市の街中にあるいせさき明治館。
現代の街並みの中に突如現れる歴史が感じられる白い建物。この建物には様々な工夫やこだわりの装飾が施されており、建物の中では明治から昭和初期にかけて流行した絹織物『伊勢崎銘仙』の展示も行われています。
群馬を代表する木造洋風医院建築のいせさき明治館に足を運んでみました。
市の文化財にも指定 いせさき明治館とは
群馬県伊勢崎市にあるいせさき明治館。
明治末年に建てられた群馬県内で最も古い木造洋風医院建築であるといわれています。
建物の所有者が伊勢崎市に寄贈し2002年に市の重要文化財に指定されました。
この建物は実は現在の場所から100メートルほど離れた場所にありましたが、曳き屋され現在の曲輪町に移転されました。曳き屋は2日間かかり、多くの伊勢崎市民が見守る中行われました。
見どころはこだわりの和洋折衷の木造洋風医院建築
白を基調にしたいせさき明治館の建物にはたくさんの工夫が施されています。
建物正面中央には車寄せ風の玄関ポーチがあり、独立柱の柱頭飾り・唐草模様の持ち送り・テラス開口部まわりの付け柱の柱頭飾りなどこだわりの装飾が施されています。
また外壁は箱目地の下見板張り、1,2階中間部の胴蛇腹、軒下部の軒蛇腹、正面洋風建築部分の上げ下げ窓の山形や櫛型風の化粧破風など洋風の装飾がされている洋風建築です。
その反面、居住部などは和風の造り。欄間の組子細工はとても手が込んでいます。
和風の内部が外から見えないように工夫されているところにもこだわりを感じます。
黒羽根内科医院旧館の歴史
黒保根内科医院を立てたのは伊勢崎藩の藩医を務めていた今村家の今村信四郎。
4代前には江戸中期の尊皇論者として有名な山形大貳がおり、その第2子長蔵は医学を学び開業し名前を今村長順として伊勢崎藩医に登用されました。
そして、長順の第三子、今村了庵が医学を学び伊勢崎藩医を継ぎました。
その後は娘婚の春斎が医業を継ぎ、本町1丁目に居を定めます。
1872年に春斎の長女が医者の婿信四郎を迎え、1897年この地で開業。
1912年にこの洋風建築に建て替えたといわれています。
1913年に伊勢崎佐波医師会が誕生し、信四郎はその当初から会員として医業に従事していましたが、1929年に伊勢崎を転出してしまいました。
1944年に伊勢崎保健所がこの建物で開設。
1942年に黒保根忠雄氏が買い取り、黒羽根内科医院が誕生しました。
1984年、黒保根氏の長男生自氏が継ぐ際に新館が建てられ旧館は診療所としての役割を終えました。
旧館の建物を歴史的文化資源として保存し、街づくりの拠点として活用する目的で生自氏が伊勢崎市へ寄贈し、移転・改修工事が行われ、現在の場所に移転されたのです。
『いせさき明治館』という名前は、市民の公募により名付けられました。
星野富弘氏の作品が見られる『』もおすすめ。
館内では伊勢崎銘仙の展示や当時使用されていた機織り機などが展示
黒保根内科医院旧館こといせさき明治館館内では伊勢崎銘仙の展示が行われています。
イベントなどで使われた伊勢崎銘仙をそのまま見ることができます。
当時伊勢崎銘仙を織りなしていた機織り機なども展示されています。
現在もう作られることのない伊勢崎銘仙の歴史や当時の技術を見ることができますよ。
館内1階にはミュージアムショップ。館内ガイドも
いせさき明治館にはミュージアムショップがあり、伊勢崎銘仙を使ったオリジナルのアクセサリーやバッグなどの雑貨も購入できます。
お土産にもぴったりなのでぜひ立ち寄った記念に購入してみて下さいね。
また、スタッフの方が館内のガイドを無料で行ってくれます。
建築物の説明などを丁寧に行ってくれるのでぜひ興味のある方は声をかけてみて下さいね。
いせさき明治館 施設情報
入園料:無料
定休日:祝日を除く月曜日、火曜日
住所:群馬県伊勢崎市曲輪町31-4
駐車場:あり(無料・8台)
アクセス:
車 関越自動車道伊勢崎ICより約15分
電車 JR伊勢崎駅、東武伊勢崎線伊勢崎駅より徒歩約10分
公式HP:http://www.isesaki.ne.jp/kankoukyoukai/meijikan.html
問合せ先:いせさき明治館(0270-40-6885)
群馬の自然について学べる博物館「群馬県立自然史博物館」もおすすめです。
まとめ
とても珍しい木造洋風医院建築のいせさき明治館いかがでしたか?
外壁や診察室、薬局などは洋風、プライベートな医院の内部の部屋は和風の造りが施されている特徴ある建築物です。
当時のこだわりがふんだんに詰まった日本建築と洋風建築が融合した美しい建物とともに歴史そして伊勢崎銘仙を楽しんでみませんか?
※情報は取材当時のものです