軍配山古墳|田園風景に突如現れる古墳と出土品が豪族の存在を物語る
群馬県佐波郡玉村町の田園風景に突如現れる軍配山古墳。
中型の古墳ではありますが、その昔この一帯に豪族がいた証。
歴史や出土品なども合わせて軍配山古墳の魅力についてご紹介しましょう。
玉村の田園風景に突如現れる軍配山古墳
佐波郡玉村町。関東平野のどかな田園風景の中に見られるこんもりした小山。
初めて行っても遠くから「あ!あれだ!」とわかるほど存在感のある古墳。
旧例幣使道と神流川の間にある、別名御幣山とも呼ばれる古墳です。
近くには梨ノ木山古墳もあり、群馬でも有数の古墳地帯。
上野、信濃の一部を統治していた織田家臣のひとり、増川一益が神流川合戦でこの古墳を陣とし、軍配を振るったことから軍配山古墳という名前が付けられたといわれています。
また昭和44年10月1日に玉村町の史跡にも指定されています。
古墳の形や大きさと出土品
昭和5年2月に発掘された軍配山古墳の大きさや出土品などについてご紹介しましょう。
軍配山古墳は4世紀後半に作られたといわれる竪穴式円墳。
古墳の南西側が大きく削られています。大きさは直径40m、高さ6mほどの中型古墳。
軍配山古墳から発掘された出土品は、現在東京上野の国立博物館に保存されています。
中国渡来の白銅製内行花文鏡二面や勾玉鉄製鏃や鉄器類が発見されました。
近くに流れる烏川周辺にはたくさんの古墳がありますが、ここまで優れた出土品が見られないので、軍配山古墳の埋葬者が周辺でかなりの豪族者であったことの証拠でもあります。
実際の古墳がこちら
古墳へのアクセス
農道からさらに細い路地へアクセスすると軍配山古墳のふもとに到着します。
史跡公園のように整備はされておらず、駐車場らしきものは無いのですが、古墳の西側にスペースがあるので、ここに車を停めます。
南西側には玉村南部土地改良事業の完成碑と古墳の説明看板そしてASITAカルタで結ぶサイクリングロードの「く」の看板が立ち並びます。
古墳に登ってみる
古墳へ上る小径は、まっすぐと古墳の丘陵を回りながら登るまるで裏参道のような道の2つがあります。
まっすぐ上る道の脇には祠が並び、神秘的かつ少し異次元な光景が広がります。
墳頂には石を積み上げてできた築山とその隣には石碑があり発掘された当時のことが記されています。
その石碑の隣には立派な松の木があり風情を感じます。
下りは古墳を周遊する回り道を通ってみます。
祠の裏側、道の途中にはこんな不思議な紋が描かれた石が置かれています。
これは一体何を表しているのでしょうか…気になります。
墳頂からは周辺の壮大な景色が眺望できる
古墳のてっぺんからは周辺の景色が一望できます。
配下には田園が見られ緑にあふれた光景が広がります。
春には青々とした稲穂、田植えの時期には水田に写る美しい古墳、そして秋には黄金に輝き美しくきらめきます。
その反面近くには大きな工場もあり自然と人工物のコラボレーションも楽しめます。
史跡公園になっているわけではありませんが、日常生活の中でふらっとお散歩やウォーキングにも立ち寄れるスポットの一つです。
玉村の花火も美しく見える穴場スポットかもしれませんね!
軍配山古墳施設情報
営業時間:24時間
入園料:無料
定休日:なし
住所:群馬県佐波郡玉村町大字角淵4755-1
電話(玉村町歴史資料館):0270-30-6183
アクセス:関越自動車道玉村スマートICより約10分
駐車場:なし
※古墳の脇に駐車可能スペースあり(約2台)
その質、量ともに東日本随一といわれる古墳大国群馬では、「古墳を探索できるアプリ」もあるので活用してみてくださいね。
まとめ
玉村町ののどかな田園風景の中に突如現れる存在感ありありの軍配山古墳いかがでしたか?
別名御幣山古墳とも呼ばれていますが、御幣とは神のよりつく物、神霊が降臨して憑依する信仰のことを言います。
まさにその名前にぴったりの雰囲気を持つ群馬を誇る古墳のひとつ。
歴史とともに周辺の光景も楽しめるのでぜひ足を運んでみて下さいね!
玉村町の老舗和菓子店「福嶋屋」でぐんまちゃんスイーツを味わってみてはいかがでしょうか。
※情報は取材当時のものです