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SUBARUの前身・中島飛行機研究所創設者の『旧中島家住宅』がスゴかった!

世界有数の車メーカー「SUBARU」の工場が群馬県太田市にある……ということは、群馬県民にとっては周知の事実。

そのSUBARUの前身となったのが、太田市出身の中島知久平が創設した「中島飛行機研究所」です。
高い開発力と技術力で、第二次世界大戦終戦までは世界有数の航空機メーカーとして知られました。

その飛行機産業で莫大な富を得た中島知久平が両親のために建築したのが、太田市押切町に残る『旧中島家住宅』

今回はその建物の豪華絢爛ぶりをご紹介します!

建築費は大阪城・天守閣の2倍以上!300坪の大規模邸宅

昭和5年、中島知久平が46歳のときに建てた、『旧中島家住宅』

その敷地は1万平方メートル、 建坪は約300坪と、かなり広大な邸宅であることがわかります。

平成28年7月に、国の重要文化財に指定されました。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

この邸宅は知久平が自身のために建てたわけではなく、両親のために、そして迎賓館を兼ねて建てたものです。

そのため、豪華でハイカラな応接室が設けられています。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

知久平は、明治17年に太田市押切町の農家の長男として産まれます。
そのため、両親は家業を継ぐことを期待していました。

18歳になった知久平は両親の期待を裏切るかたちで家出して上京し、その後飛行機の研究・開発の道に進むこととなります。
そして成功をおさめた暁に、両親への感謝と償いの気持ちを込めて建てたのが、この『旧中島家住宅』です。

知久平46歳のときということは、ご両親はもうかなり高齢。

設計に2年、建築に2年を要した大規模邸宅は、ご両親に対する最初で最後のビッグサプライズとなったのでした。
宮内省内匠寮出身の設計士・伊藤藤一が2年を費やして設計した、こちらの邸宅。

その仕上がりは当時としては珍しい和洋折衷なつくりで、非常に豪華、そして精巧につくられています。

建築費当時のお金で100万円
現在のお金に換算すると、数十億円といわれています。

また、大阪城・天守閣の建築費が当時のお金で47万円。

その倍以上のお金がかかった邸宅といえば、その豪華絢爛ぶりが伝わるでしょうか。

旧中島家住宅の見どころ①『“下がり藤”の家紋』

知久平が両親のために建てたこちらの邸宅には、中島家の家紋“下がり藤”が「これでもか!」というほどいたるところに使用されています。

屋根の瓦の丸い部分にご注目。すべての箇所に“下がり藤”の家紋が入っています。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

車寄せの屋根部分にも美しい木造の“下がり藤”が。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

玄関を入ってすぐの広間で頭上を見上げると、シャンデリアにも“下がり藤”が……!

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

よく見ると、シルク製の壁も藤の模様が描かれていました。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

旧中島家住宅の見どころ②当時としては珍しい『オール電化』住宅!

そしてこの邸宅の驚くべきポイントは、昭和5年当時としては非常に珍しい、オール電化の家だったこと。
応接室にあるのは暖炉ではなく電気ストーブで、加湿機能も装備していたそう。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

コンセントがついているのがわかりますか?
そしてさらにここにも“藤”の装飾が施されているのでよく見てみてください!

そしてこちらは、女中部屋につながるベル。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

こちらももちろん電気でつながっていました。

当時の最新・最高峰の技術を
駆使した、未来型住宅だったのです。

旧中島家住宅の見どころ③職人泣かせのこだわり

昭和5年に建てられ、築90年近く経っているものの、建具や窓に一切隙間やガタつきがなく、床や柱にもまったく狂いが見られません。

一流の職人が、かなり精巧につくったことが見て取れます。
さまざまな職人が関わり、2年かけて建築したこちらの邸宅。

「大変だっただろうな~…」と想像できる箇所がたくさんあります。
こちらの邸宅の柱や扉には、基本的に継ぎ目も節も見られません。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

また、御影石の階段にも継ぎ目がありません。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

かなり大きな材木と石をここに運び、ここで加工しました。
玄関広間の格天井は、普通1本のところを2本組んでいます。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

ステンドグラスや窓ガラスはイギリス製、床や廊下との境に段差のない、いわゆるバリアフリー設計。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

廊下の床は木片を矢羽状に敷き詰めた“ヘリンボーン”スタイル。
知久平さんはきっと、とてもオシャレな方だったんでしょうね……!

邸宅はロの字になっており、すべての部屋から中庭を望むことができるつくりになっています。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

客室部、居間部、食堂部は耐震性の関係で見学することはできませんが、今後補強工事をしていく予定なのだそう。

旧中島家住宅の見どころ④広い庭と望む全容

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

広大な芝生の庭に出ると、邸宅の全容が見られます。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

両親のための居間部と土蔵。
こちらは純和風なつくりになっており、外から見学することができます。

また、こちらの祠にもご注目を。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

邸宅の縮小版のごとく、継ぎ目や節が一切ないこだわりぶり。

そして屋根には……

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

見えますか……?ここにもやっぱり“下がり藤”!

この祠だけで普通の家が1軒建ってしまうほどの金額がかかっているそうです。

旧中島家住宅 SUBARU 中島飛行機研究所

『旧中島家住宅』まとめ

太田市では現在「おおたんの史跡探検スタンプラリー」を開催しており、こちらの旧中島家住宅も スポットのひとつになっています。

26カ所のうち20カ所の史跡スポットをめぐると記念品がもらえるそうなので、この夏休みに挑戦してみてはいかがでしょうか?

【おおたんの史跡探索スタンプラリー】

開催期間:7月21日~8月31日

*参加方法等はこちらをご覧ください。
http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/01news/files/sutampguide.pdf

こちらもスランプラリーの史跡スポットのひとつです。
徳川家のお墨付き!「縁切寺満徳寺資料館」で、悪いモノと縁切りしよう

【旧中島家住宅】

住所:群馬県太田市押切町1417

電話:0276-52-2235

開館時間:9:00~17:00
(入場は16:30まで)

休館日:月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始

入館料:無料

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