上野国府と国分寺|東国文化繁栄を物語る古来の群馬史跡を巡る【高崎市国府町】
かつて東国文化が栄えた遺構があまたある群馬県。その中の一つに上野国府跡があります。
元総社一帯の広大な敷地に広がり、古代群馬の中心地であった上野国府跡とそれに寄り添う史跡上野国分寺跡をご紹介します。
広大な敷地にまたがる上野国府
国府跡について
前橋市元総社町に鎮座する総社神社周辺にあったとされた上野国府(こうずけこくふ)。
最近では調査が進み、前橋市内の牛池川の近くからは出土品、鳥羽町を走る関越自動車道近くからは神社跡が見つかり、広大な一帯で国府が栄えていたことが解明されつつあります。
国府跡は古代群馬の中心地の史跡
国府跡や出土品について
国府という場所について簡単にご説明しましょう。
歴史は今から遡ることおよそ1300年前、大化の改新後律令国家。日本は今の都道府県のように60ほどの国に分けられ、大国、上国、中国そして下国のは4つの等級があり、当時の群馬県、上野国は大国という最上等級に格付けされていました。
国府は、都の役人が政治などを行う国庁や今の県庁のような役割を果たす国衛で働く人たちの宿舎や市、学校、農民の家などがあった場所のことを言います。
奈良、平安時代に栄えた上野国は古代文化の地方拠点であり、国の文化財にも指定されています。
国府跡に寄り添う上野国分寺跡
広大な敷地の国分寺跡
上野国府の北西にある上野国分寺、741年国分寺建立の命令を受け、国内でも早い時期の749年ごろに僧寺・尼寺が並んで建てられたれたと言われています。
国分寺の案内板
復元された壁
僧侶寺は東西220m、南北235mと広大で周囲には土壁(築垣)がめぐらされていたのだそう。
築垣について
中心部には釈迦像を祀る金堂や6mを超える高さの七重の塔も建てられていました。
七重の塔案内板
七重の塔跡地
1000年頃には門や土壁が壊れ、1300年代後半には金堂も壊れてしまったと言われています。
復元された基盤
1926年に国の史跡に指定された国内最大級の塔の基盤には、17個の礎石や金堂の基壇が復元され自由に見学ができます。
上野国分寺館で当時を学ぶ
ガイダンス施設
国分寺跡にはガイダンス施設の国分寺館があり、当時の様子や出土された瓦、さらには七重の塔などが1/20の模型となり展示されています。また、遺跡の解説ビデオも放映されるので、当時の理解を深めることができます。
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基本情報
当時を再現した築垣
入館料:無料
上野国分寺館開館時間:9:30~16:30(最終入館は16:00)
定休日:年末年始
住所:群馬県高崎市引間町250-1 他
問い合わせ先:027−372−6767(上野国分寺館)
駐車場:あり・無料
アクセス:
車 関越自動車道前橋ICより約10分
電車 JR新前橋駅より徒歩約50分
高崎市周辺情報:https://www.jalan.net/travel/cit_102020000/
高崎市で宿を探す:https://travel.rakuten.co.jp/yado/gunma/takasaki.html
まとめ
文化財に指定される国分寺跡
奈良、平安時代に栄えた文化や政治の地方拠点である上野国府とそれに隣接する国分寺をご紹介しました。
大化の改新後最上等級を与えられた上野国府は、当時この地で重要な役割を果たしていたことがわかります。
そしてその国府に寄り添うように建てられた国分寺は当時国内最大級の規模を誇る塔があったと言われ、現在は礎石や外壁などが再現、また無料のガイダンス施設で当時の様子も学べます。
群馬の歴史を学びに足を運んでみてはいかがでしょうか。
※情報は掲載当時のものです