蛇穴山古墳は総社古墳群の1基|桜木の下で歴史を伝える県内最後の大型古墳
蛇穴山(じゃけつざん)古墳は、前橋総社歴史資料館の隣、総社小学校の校庭にある国指定史跡の円墳です。
有名な総社古墳群の1つに数えられる蛇穴山古墳を、葉桜が春の余韻を残す時期に訪ねてきました。
蛇穴山古墳を含む総社古墳群とは?
総社古墳群は利根川の西側、前橋市総社町に、南北4キロにわたり点在する大きな古墳群です。
5世紀後半から6世紀頃の第1期古墳と、7世紀後半から8世紀前半の第2期の両方が分布しており、
築造された順番は、
遠見山古墳→王山古墳→(王河原山古墳:消滅)→総社二子山古墳→愛宕山古墳→宝塔山古墳→蛇穴山古墳
といわれています。
古墳時代の第1期には、日本全国で豪族たちが競って大型前方後円墳を築き、第2期には、既に西日本では築造が終了していた8世紀前半まで、群馬を含む関東では古墳が造られました。
総社古墳群により当時の様子がよく分かる事から、この一帯は古代上野国の中心的存在であったようです。
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蛇穴山古墳について
7世紀末の飛鳥時代に造られたとされる蛇穴山古墳。総社古墳群の中では最も歴史が新しく、宝塔山古墳から徒歩ですぐの場所にあります。
蛇穴山古墳の直径は約43m、高さ6.5mと小規模ながら2009年の発掘調査で堀も確認されており、堀を含んだ直径は約82メートルになります。
石の祠とほのかにピンクが残る葉桜とのコントラストが綺麗で、思わず1枚パシャリ。
実はこの蛇穴山古墳は、日本書紀に記されている「上毛野田道(かみつけぬたみち)」の墓だという説もあります。
仁徳天皇の時代、新羅征伐において活躍した武人で、蝦夷との戦いで戦死したとされる人物です。
階段を使って墳頂に登ると、周囲が見渡せます。
珍しい石室を有する蛇穴山古墳
©https://www.maebashi-cvb.com/
蛇穴山古墳の大きな特徴は、墳丘下部の横穴式石室にあります。
通常、古墳の石室は羨道(玄室と外部とを結ぶ通路部分)の先に玄室(死者を埋葬する墓室)があるのですが、この古墳には羨道がなく、突然玄室が出現します。
©https://www.maebashi-cvb.com/
玄室の内部は、当時では最先端の石材加工技術を駆使しているのが見て取れます。
左右の壁、奥の壁、天井が巨石1石で造られており、石の表面は磨かれ角が精巧に削られています。
さらに石室の入口付近には、八の字に開かれた前庭部があります。古代東国では、ここで亡くなった豪族へお供え物をして祈りを捧げたとされています。
蛇穴山古墳 施設情報
入場料金:無料
定休日:なし
住所:群馬県前橋市総社町総社1587-2
電話:027-280-6511(前橋市文化財保護課)
駐車場:あり(無料・78台)
※前橋市総社歴史資料館駐車場を利用
アクセス:
車 関越自動車道前橋ICより約10分
電車 JR総社駅より徒歩約17分
※詳細は市の担当部署へ直接お問い合わせください。
テイクアウトもできる洋食デカ盛り有名店が、お隣の元総社町にあります。
まとめ
東国文化が栄えた頃の様子を現在に伝える蛇穴山古墳、いかがでしたか?
精巧な最先端技術を用いて作られた石室や玄室を目の前にすると、はるか昔にタイムスリップしたかのような錯覚にとらわれます。隣の前橋総社歴史資料館で歴史の知識を深めるのも良いですね。
蛇穴山古墳を含む総社古墳群で古代ロマンを感じながら、ぜひ周辺散策も楽しんでくださいね。
※情報は取材当時のものです