高崎市上野三碑|祝!ユネスコ世界記憶遺産登録|古代日本と東アジアの文化交流を知ろう
高崎市南部にある吉井地区。ここに上野三碑(こうずけさんぴ)と呼ばれる3つの石碑が一般公開されています。
今から遡ること約1300年前の飛鳥時代から奈良時代前半にかけて、当時の僧侶や権力を持つ人々によって建てられました。昔を語る古碑として上毛かるたに詠まれ、海外からも注目されている非常に価値のある石碑群です。
今回は、そんな上野三碑の魅力を余すことなくご紹介します。各石碑をまわる無料巡回バスも毎日運行しているので、気軽に訪れる事ができますよ。
上野三碑とは
©https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/index.html
皆さんご存知の通り、群馬県はかつて上野国(こうずけのくに)と呼ばれていました。
当時は朝鮮半島からの渡来人が上野国に住んでいましたが、私達の祖先が彼らとの交流を経て生まれたのが上野三碑です。詳しく見てみましょう。
歴史的にも珍しい上野三碑
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上野三碑は、古代上野国(現群馬県高崎市南部)に存在する山上碑(やまのうえひ)・多胡碑(たごひ)・金井沢碑(かないざわひ)3つの石碑を総称したもの。
およそ1300年前の7世紀から11世紀に行われた東アジアの文化交流を裏付ける石碑として、長い間大切に保存されてきました。
古代に造られた石碑は数多くあったと言われていますが、国内に現存するのはたったの18例。そのうちの3例が上野三碑ですが、3つの石碑が近隣の地域に集まっているのはとても珍しいとのことです。群馬県と似たケースとしては、奈良県奈良市内にも、3つの古代石碑・石塔が残されています。
一口に石碑と言っても、その種類は墓碑や歌碑など様々です。
上野三碑は山上碑が追善供養碑、多胡碑が建郡碑、金井沢碑が供養碑として知られています。
当時の文化伝播の様子を伝える貴重な文化資料
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上野三碑が建てられた頃は、中国で始まった政治制度や漢字文化、そしてインドの仏教が、ユーラシア大陸東端である日本に海を越えて伝わった時代でした。
そのような渡来文化が内陸である群馬(上野国)まで届き、地域の人々がそれを受け入れた事で徐々に広まっていったという事実を示しているのが上野三碑なのです。
ユネスコ「世界の記憶」に登録!
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上野三碑は、2017年10月に国連の専門機関ユネスコから「世界の記憶(別名:世界記憶遺産)」として認定されるという快挙を達成しました。
この活動は、世界的に重要な記録遺産(文書、書籍、絵画、音楽など)への人々の興味関心を高め、風化させないようにすることを目的に、1992年に開始されました。審査は2年に1回行われ、1つの国からの申請は2件以内でなければなりません。登録のタイプは「国際登録」と「地域登録」の2種類で、上野三碑は国際登録の記録物に分類されます。
アンネの日記やベートーヴェンの自筆楽譜など、世界的に有名な記録物も「世界の記憶」に登録されています。
3つの石碑に込められた人々の想いとは
上野三碑はひと括りにして紹介されることも多いのですが、各石碑は外観も建てられた目的も大きく異なります。
1つずつ見ていくことにしましょう。
山上碑および古墳(特別史跡)
問い合わせ先: 027-321-1292(高崎市教育委員会事務局文化財保護課)
駐車場:あり(無料・12台・大型不可)
アクセス:
車 上信越自動車道藤岡ICより約20分
電車 上信電鉄西山名駅もしくは山名駅より徒歩約20分
完全な形として残る日本最古の石碑が山上碑です。
天武天皇が国を治めていた飛鳥時代、681年に建てられました。
整備された駐車場から山上碑へ向かうには、長く急な階段を上る必要があります。
©https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/06.html
ついに山上碑が保管されている建物に到着。周囲から厳かな雰囲気を感じました。
詩碑のようなものも見えますね。
こちらが実物の山上碑。大きさは高さ111センチ、幅47センチ、厚さ52センチです。
風化で一部判読しにくい文字もありますが、彫られているその内容が見えるでしょうか?前面の平らな部分に縦書き4行で53文字の碑文が刻まれています。
©https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/02.html
放光寺(ほうこうじ)の長利(ちょうり)という名の僧が母、黒売刀自(くろめとじ)のために建てた石碑です。この放光寺は、前橋市総社町に現存する山王廃寺(さんのうはいじ)であると推定されています。
山王廃寺から「放光寺」の文字を刻んだ瓦が出土したためです。
©https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/02.html
非常に頭の良い知識人であり大寺院の僧でもあった長利が、母である黒売刀自を供養するとともに、自らの存在を後世に残すために山上碑を建てたとも言われています。
山上碑は、ユーラシア大陸より伝わった漢字文化(日本語の源流)と仏教の思想が見事に描かれている石碑です。碑文はすべて漢字で書かれていますが、日本語の語順で読むことができます。古代日本において、既に日本特有の漢字使用方法が完成していた事を示す貴重な資料でもあるのです。
自然の石をあまり加工せずに作られている点は、朝鮮半島にある新羅(しらぎ)の石碑から影響を受けたものと思われます。
そして山上碑の東隣に位置するのが、直径約15メートルの円墳である山上古墳。岩の切石を組む切石積み石室が中心にあり、山上碑に隣接するため黒売刀自の墓所と推定されます。
しかし正確には、この山上古墳は山上碑が建てられた年より更に数十年前のものと言われています。つまり、もともと黒売刀自の親の墓として造られた古墳に、黒売刀自が追葬されたとする考えが自然なようです。
多胡碑(特別史跡)
問い合わせ先: 027-321-1292(高崎市教育委員会事務局文化財保護課)
駐車場:あり(無料・台数不明・大型可)
アクセス:
車 上信越自動車道 吉井ICより約7分
電車 JR高崎駅よりタクシー約12分
時は奈良時代初頭の和銅(わどう)4年(711年)。
上野国の14番目の郡として設置された多胡郡の建郡を記念して建てられた石碑が多胡碑です。渡来人と見られる羊(ひつじ)という人物が、この建郡も大きく貢献し、初代の郡長官になるとともに、自ら多胡碑を建てたと言われています。
多胡郡の範囲は、現在の高崎市山名町から吉井町一帯で、当時としては先進的な渡来系技術の導入により、窯業(ようぎょう)、布生産、石材や木材の産出などの手工業が盛んに行われていました。
©https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/03.html
ユニークな形状や楷書体の文字は、中国文化に感化されたものです。
逆に、多胡碑の拓本が18世紀以降に朝鮮通信使により中国にもたらされ、その書風が現地で評価された結果、後世の日本書家にも影響を与えました。多胡碑は、江戸時代以降も日本と中国の書が交流していた証でもあるのです。
多胡古碑へは、河原の駐車場に車を停めてアクセスできます。少し階段を上ると見えてくるのが多胡碑記念館。
古代多胡郡についてより知識を深めることができる考古資料や、上野三碑のレプリカ(複製品)などが展示されています。多胡記念館は吉井いしぶみの里公園内にあり、暖かい日は人々が外でのんびり休憩する姿も見られます。
©http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121900164/
ここから少し歩くと多胡碑があります。近くには古墳らしきものも。
山上碑と同様、風化を防ぐ目的で石碑は建物内に保管されています。
碑身(ひしん)に笠石(かさいし)をのせた、まるでエリンギのような形をしています。
碑身は高さ129センチ、幅69センチ、厚さ62センチの方柱状で、花崗岩質砂岩(かこうがんしつさがん)を成形して造られた石碑の前面に、縦書き6行で80文字が刻まれています。
台石は第二次大戦後、コンクリート製に作り替えられたものです。
©https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/03.html
碑文には、建郡に大きな役割を果たした羊の名前とその家臣たち、そして多胡郡が誕生したという事実が記されています。
また、多胡碑の保管管理に力を注いだ吉田松陰の義弟楫取素彦(かもりもとひこ)の歌碑が近くにあり、多胡碑がいかに大切にされてきたかが分かります。
金井沢碑(特別史跡)
問い合わせ先: 027-321-1292(高崎市教育委員会事務局文化財保護課)
駐車場:あり(無料・20台・大型可)
アクセス:
車 上信越自動車道藤岡ICより約20分
電車 上信電鉄根小屋駅より徒歩約10分
奈良時代前半の神亀(じんき)3年(726年)に当時の豪族三家氏(みやけし)が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑です。
三家氏は佐野三家(さののみやけ)を配下に置くほどの権力を誇り、上野三碑の1つ山上碑を建てた豪族の子孫であるとも言われています。金井沢碑は、ユーラシア大陸よりもたらされた仏教の影響を色濃く反映している石碑の1つです。
石の前面には、当時の女性が子供たちと一緒に実家の祖先祭祀に参加するなど、家族のつながりを保つための重要な役割を果たしていたといった内容や、当時の行政制度における地名表記などが刻まれています。
また、碑文には県内では最古の事例となる「群馬」の文字も記されており、ここに現在の「群馬県」の由来を知るルーツがあるのだなと感慨深い気持ちになりました。
山上碑のように急な階段があるのかと思いきや、少しの坂道と階段を上って簡単にアクセスできました。
すぐ側にある川では、シーズンになると多くの蛍も見られるそうですよ。
周囲の緑に守られるように佇む建物の中に、金井沢碑は置かれています。
高さ110センチ、幅70センチ、厚さ65センチの石碑には輝石安山岩の自然石が使われ、碑面には縦書き9行で112文字が彫られています。若干文字が判別しにくい部分があります。
金井沢碑には、仏の教えによって結ばれた三家氏を中心とした9人の名前が刻まれており、先祖を敬うとともに、将来にわたり子孫や一族が栄華を極められるよう願いが込められています。
アクセスには無料巡回バスが便利
さて、上野三碑を見たくなった皆さま。無料の上野三碑めぐりバスがあるのをご存知ですか?
運行は1月1日を除く毎日で、上野三碑デザインのバスで3つの石碑全てを回ることができます。
上信電鉄吉井駅を起点におよそ45分間隔で運行しており、上信電鉄山名駅にも停車します。運行予定表やルートの詳細は、下記高崎市の公式HPをご覧ください。
上野三碑めぐりバス詳細:http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2017101900021/
つなぐ会によるイベントも開催
特定非営利活動法人上野三碑をつなぐ会は、上野三碑周辺の歴史的文化の振興を通して子供たちの道徳心や地域愛を育て、地域を活性化させる事を目的とするNPO法人です。
山上碑にちなんで2018年から毎年母の日には、お母さんへの愛を伝えようという取り組み「ははおもひ」が行われています。
「ははおもひ」についてもっと詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。
まとめ
世界記憶遺産に登録され、その歴史的価値が海外にも広く知られるようになった上野三碑。日本が古代から他国と関わってきた証が3つの石碑に刻み込まれています。
歴史なんてほとんど分からない!という人も大丈夫です。約1300年という、気が遠くなるほど長きにわたり守られてきた石碑を目の前にすれば、詳しい知識がなくてもその偉大さに圧倒されるでしょう。
無料巡回バスで簡単に訪れることができます。県民の皆さんもそうでない方も一度は足を運び、私達の祖先が石碑に託した想いに触れてみてはいかがでしょうか。
※情報は取材当時のものです