斎藤佑樹|プロ野球引退!通算成績・経歴まとめ速報
2006年夏の甲子園決勝戦で、現メジャーリーガーの田中将大投手とともに高校野球史に残る名勝負を繰り広げた斎藤佑樹投手。出身高校は早稲田実業高校ですが、実は群馬県太田市の出身です。
甲子園でのフィーバー以来「ハンカチ王子」の愛称で親しまれて注目され続け、北海道日本ハムファイターズに所属していた斎藤投手ですが、プロ11年目である今年、今季限りでの引退を発表しました。
そんな斎藤佑樹投手について、これまでの経歴や近況、今後についてなど、スポーツニュースだけでは分からない情報もあわせてまとめています。
斎藤佑樹プロフィール
今日は斎藤佑樹投手の誕生日!おめでとうございます!#lovefighters #HappyBirthday pic.twitter.com/x5Sz9i8zKW
— 北海道日本ハムファイターズ公式 (@FightersPR) June 6, 2020
斎藤佑樹投手と言えば、何と言っても2006年夏の甲子園での活躍。早稲田実業高校のエースとして、当時駒大苫小牧高校のエースだった田中将大投手と決勝戦で投げ合いました。
延長15回引き分けによる再試合という二日間の激闘の末、最後は田中将大投手を打ち取るというドラマチックな展開で、高校野球ファンのみならず日本中を熱狂させました。
そんな斎藤投手の故郷は群馬県太田市。元高校球児の父親や兄と一緒に、小さい頃から野球に親しんできた斎藤少年。
小学生の時には地元の少年野球チームに所属、また中学校では軟式野球部に入部し、ピッチャーとしての感性を磨きました。
その後、早稲田実業高校野球部、早稲田大学野球部と歩みを進め、プロ球団「北海道日本ハムファイターズ」に入団、現在に至ります。
同い年の選手は田中将大投手を筆頭に、福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手、読売ジャイアンツの坂本勇人選手、メジャーリーグで活躍する前田健太投手、秋山翔吾選手など、まさにそうそうたる顔ぶれ。この世代の面々は、野球ファンから「ハンカチ世代」とも呼ばれていました。
生年月日:1988年6月6日
血液型:O型
身長:176cm
所属:北海道日本ハムファイターズ
出身地:群馬県太田市
出身校:早稲田実業高校、早稲田大学
背番号:1
最新の経歴
【好投】斎藤佑樹、13年ぶりに甲子園で先発「やっぱり気持ちいい」https://t.co/t3rI9u7YfZ
早実のエースとして夏の甲子園を制した2006年以来、13年ぶりに高校野球の聖地で先発。2回無安打無失点だった。 pic.twitter.com/bsKRwW9t7h
— ライブドアニュース (@livedoornews) March 9, 2019
大学卒業後、日ハム、ロッテ、ソフトバンク、ヤクルトと4球団から1位指名を受け、鳴り物入りでプロ入りを果たした斎藤投手ですが、入団後2年目以降思うような成績を残せず、2018年からは3年連続未勝利に終わっています。そんな状況に「なぜクビにならないのか」という声もあがっていました。
高校・大学と華々しい成績を残してきた斎藤投手がなぜプロ入団後、不振に陥ってしまったのか。その原因として、大学時代に投球フォームを変えたことや、怪我のためプロ入り後もフォームが安定しないといったことがファンや関係者の間で指摘されています。
大学時代には最高球速150キロを記録していたそうですが、プロ入り後はその速さにもだいぶ陰りが見えていたようです。
そんな中でも、やはり甲子園以来の人気や注目度は高く、集客やグッズ収益で球団に貢献している部分は大きいと言われていました。
また、プロ入り後低迷が続くも、数年経って劇的な復活を遂げる選手も時々現れます。高校野球や大学野球で見せた冷静さや精神力、勝負強さを信じて、遅咲きの活躍を期待されている部分もあったようです。
成績
注目を集めたプロ1年目の2011年には初登板で勝利を収め、まずまずの成績でシーズンを終えます。
2年目には開幕戦で初の完投勝利を掴み、さらに完封も果たすなど、期待に違わぬ活躍を見せましたが、次第に不調に陥り、2軍でも結果を出すことができませんでした。
RSAA(失点を防ぐ指標)がプロ野球全投手のなかでもワーストになるなど、つらい低迷の時期にくわえ、わき腹や右肩の怪我にも悩まされた2013年は2軍スタート。
2019年は、栗山監督が「ショートスターター」(先発投手を相手打者一巡で交代する方式)という新たな戦術を導入し、それに適した存在として再注目。
結果としてWHIP(1投球回あたり何人の走者を出したかを表す数値)や被打率がキャリアハイ(プロ入り後の記録としては過去最良の数字)となり、復活の兆しが見えるとする見解もありましたが、10年目である2020年はプロ入り後初めて1軍での登板がなし。
現在まで成績の振るわない状況が続き、2021年までの通算成績は15勝26敗、防御率4.34という結果に終わりました。
年俸
プロ野球選手の年俸はすべて推定ですが、斎藤佑樹投手の場合、プロ契約初年度は新人としては最高評価の1500万円でした。
2年目は1年目の結果と期待値からかさらに上がって3000万円。3年目には3500万円の自身最高額まで上がりました。
しかしその年は右肩の怪我の影響もあり力が出せず、ファーム戦でも打ち込まれる場面が多く見られました。
その後、2014年からは年俸も右肩下がりに年々減額となり、2020年は1600万円、2021年は1250万円で契約を結んでいました。
振るわない成績が続くなかで、なぜこれほどの年俸だったのでしょうか。それはやはり、その知名度による集客やグッズの売上貢献、また、遅咲きでも結果を出すのではないかという今後への期待という部分が考えられます。
ハンカチ王子のプライベート
【コメント全文】日本ハム・斎藤佑樹、31歳の一般女性と結婚https://t.co/NSCpgCk0tf
31日、球団を通じて結婚を発表。お相手の女性は学生時代からの知り合いだという。なお、入籍日は非公表としている。 pic.twitter.com/fi8LsIr9Dz
— ライブドアニュース (@livedoornews) December 31, 2019
斎藤佑樹投手は父親と母親、そして3歳年上の兄の4人家族。前述の通り父親も元高校球児で、二人の息子には子どもの頃から野球を教えてきたそうです。母親も球技好きというスポーツ一家。お兄さんとは自宅の庭でよくキャッチボールをし、兄弟げんかは少なかったとか。
斎藤投手が早稲田実業高校へ進んだとき、お兄さんは東京の予備校に通う浪人生。互いの通学の時間的・体力的負担を減らすため、二人で国分寺市のアパートを借り、力を合わせて生活していたそうです。
浪人中の兄と中学卒業したての弟が、初めて親元を離れ二人暮らし。兄は受験に向け、弟は野球と勉学に励みながら、慣れない家事や弁当作りに追われる日々は、きっと大変だったに違いありません。
両親の著書『佑樹 家族がつづった物語』にはその時の様子が詳細に描かれており、あの夏の甲子園の劇的な優勝の裏には、家族、指導者、学校、チームメートなどたくさんの支えがあったことがうかがえます。
また、同著書のなかで母親のしづ子さんは、斎藤投手の結婚相手として「斎藤投手に歩調を合わせてくれる人、立ててくれる人であれば」と希望を綴っています。
両親の著書『佑樹 家族がつづった物語』では、斉藤投手の両親が誕生から現在までを振り返りながら、斎藤家の子育てが語られています。
【佑樹 家族がつづった物語】
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価格:
単行本 1,540円
kindle版 770円
31歳で結婚
そんな斎藤投手ですが、2019年12月31日、球団を通じ自身の結婚を発表しました。気になる結婚相手は斎藤投手と同い年で、交際期間などは明らかにされていませんが、学生時代からの知り合いだった一般女性とのこと。度重なる怪我に悩まされたつらい時期も、パートナーが心の支えとなっていたのかもしれません。
結婚発表から年が明けての2月、春季キャンプ中の行われた阪神戦(練習試合)では先発登板。日ハムの新たな戦術にフィットするかたちで起用され、まずまずの結果を残しました。
不仲説
斎藤佑樹投手について、日本ハムファイターズのチームメートであった中田翔選手や、甲子園決勝で投げ合った田中将大投手との不仲説がネット上で見られることがあります。実際はどうなのでしょうか。
中田翔選手は、斎藤投手が一躍時の人となった2006年の甲子園で、大阪桐蔭高校の注目選手でした。
早稲田実業との試合では斎藤投手に打ち取られ敗北しましたが、当時はリーグ内で打点王争いに名を挙げるほどのチーム主力打者。その中田選手との不仲が疑われたエピソードの一つが、2017年7月のオリックス戦。
先発の斎藤佑樹投手が打たれ、守った中田翔選手が1塁に球を投げようとしたところ、1塁のカバーに入っているはずの斎藤投手がおらず、その怠慢とも取れる守備に、中田選手がぶぜんとした表情でマウンドに歩いた…というもの。しかし、それだけでは「不仲」と断定するのは難しく、あくまで「説」のようです。
一方、田中将大投手との関係については、裏付けとなるエピソードはほとんど見られません。ただ、甲子園での伝説の熱戦以来比べられることの多い二人であり、また日本でくすぶり続けていた斎藤佑樹投手に対し、田中将大さんは当時メジャーリーグで大活躍。この状況の違いから、当人たちのあずかり知らぬところで、憶測の情報が飛び交っていたことがうかがえます。
趣味やこだわり
推薦図書、ラストはふたたび斎藤佑樹投手オススメの2冊📖#100北海道 #lovefighters pic.twitter.com/ZtKZMgKxNV
— 北海道日本ハムファイターズ公式 (@FightersPR) May 19, 2020
日ハムの選手たちがおすすめの本を紹介する「北海道日本ハムファイターズ読書推進全道キャンペーン」のなかで、自己啓発本や野球に関するビジネス書などを紹介している斎藤佑樹投手。いろいろな本を読んで心も耕しているようです。
また、野球に対しストイックな一方で、渓流釣りが趣味という側面も。そんなオンオフのメリハリが、野球人、そして社会人としての斎藤投手のマインドにつながっていたのでしょう。
愛車
取材を受けながらの車移動中、街中を走る外車に目を奪われ、思わずこぼれた「カイエン乗りてぇ」というコメントが今もネタにされがちな斎藤佑樹投手。
カイエンとは、ポルシェならではのハイレベルなスポーツ性能に加えオフロードでの走行性能も併せ持つスーパーSUVで、グレードは1千万円台~2千万円台まであるようです。その登場時の衝撃は大きく、他の自動車・スポーツカーメーカーがこぞってハイパフォーマンスSUVの製造に乗り出すきっかけにもなった、車好きなら誰もが一度は憧れる名車です。
そんな車好きの斎藤投手ですが、2015年頃の愛車はポルシェ・カイエンではなくポルシェ・マカンだったようです。
しかし、マカンに関しては知り合いの社長から提供されたなどの噂が流れ、その後新車の国産車に変えたようです。
筋トレ
近年の斎藤投手は筋トレに力を入れていることも話題になっていました。力強いバッティングには下半身の安定性が重要であり、バッティングやスローイングでは広背筋や脊柱起立筋、三角筋など上半身の筋力が問われると言われています。
球団での練習後でも毎日のようにパーソナル・トレーニングのジムに通い、肉体を痛めつけるほどに鍛えていたという斎藤投手。筋力とともに自信も増し、当時は「ジムが生きがい」と話すほどでした。
愛称「さいてょ」の由来
日本ハム・斎藤佑樹、単独インタビュー「迷っている時間なんてありません」必ず1軍のマウンドへ(スポニチアネックス) スポーツナビ
.https://t.co/sItuRdYt4Q#速報 pic.twitter.com/gxxHTqiUBS— NEWS JAPAN C (@news_type_c) January 9, 2021
「ハンカチ王子」「佑ちゃん」などの愛称で親しまれている斎藤佑樹投手ですが、ネット上では「さいてょ」とも呼ばれることがあります。
「さいてょ」の由来は、2011年3月21日に行われた日ハムVS阪神タイガースのオープン戦。「佑樹」の下に背番号の18と「SAITHO」と記された応援旗を掲げる女性がカメラに映り込んだことがきっかけとされています。
「さいとう」と読ませるならば「SAITOH」となるのですが、つづりを間違えたのでしょう。その間違ったつづりが「さいてょ」と読めることから、主に野球の実況をしている2ちゃんねる(現5ちゃんねる)掲示板「なんj(なんでも実況)」で定着。同サイトでは斎藤佑樹の名言集を迷言集として紹介するなどしていました。
語り継がれる甲子園での戦い
群馬県からは西武の高橋光成投手や日本ハムの斎藤佑樹投手など甲子園を制覇した選手も輩出しています。そのほかオリックスの安達了一選手、西武の渡辺久信シニアディレクターも群馬県出身です‼️
(写真:岡沢克郎/アフロ) pic.twitter.com/sN4fFPZ1Po
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) October 28, 2018
前述の通り、斎藤佑樹投手と言えば2006年夏の甲子園。優勝候補の駒大苫小牧高校や大阪桐蔭高校など、並みいる強豪校を抑えて早稲田実業高校を優勝へと導きました。田中将大投手を擁する駒大苫小牧高校との決勝戦では日本中が熱狂。瞬間最高視聴率37.1%という数字からも、当時の盛り上がりがうかがえます。
決勝戦では田中将大投手と見事な投げ合いを見せ、15回に及ぶ延長戦引き分け、そして再試合という2日間にわたる激闘。最後は、田中将大投手を三振に打ち取り初優勝を果たすという、まさに劇的な勝利を手にしました。
ピンチでも表情を変えない高校生とは思えない落ち着きのあるピッチングとともに、マウンド上で時折ポケットからハンカチを取り出し汗を拭う姿は注目の的となり、その端正なルックスも相まって「ハンカチ王子」の愛称が広く知れ渡りました。なんと、百貨店ではハンカチの売り上げが上がったというエピソードも。
甲子園での成績とエピソード
早稲田実業は、2006年夏の甲子園で初優勝を飾りました。
斎藤佑樹投手はこの大会で69回を投げ、その投球数は948球。いずれも一大会における記録としては史上最多となりました。
また、この大会で残した奪三振78という記録は歴代2位。2日間にわたる決勝戦を連投し、終盤でも147キロの速球を繰り出すスタミナと精神力も圧巻で、背番号「1」というエースナンバーの名に恥じない活躍を見せました。
さらに、同年の9月に開催された第61回国民体育大会では、決勝戦で再び駒大苫小牧高校と対戦。再び勝利投手になるなど華々しい成績を残し、甲子園後もたびたびメディアに取り上げられていました。
そして、甲子園での斎藤投手の活躍に影響を受けたのが、現在日本ハムファイターズに所属する清宮幸太郎選手。夏の大会決勝戦の再試合をアルプスで観戦し、力強く輝く斎藤投手の姿を目の当たりにしたことで、野球選手としての人生をスタートさせたそうです。
なぜ大学進学を選んだのか
甲子園で一躍時の人となった斎藤佑樹投手。高校卒業後の進路にも大きな注目が集まりました。多くの高校球児にとって、プロの舞台は憧れの場所。しかし当然ながら高校野球とは比べ物にならない厳しさがあり、プロとして活躍できるプロ野球人生は平均10年ほどとも言われています。プロの世界に飛び込んで野球に賭けるのか、引退後の人生まで見据えて大学へ進むのか…
最終的に選んだのは大学進学への道でした。そこには、学生のうちは野球だけでなくいろいろなことを経験してみたいという意欲、また、これまでと同様「文武両道」で頑張りたいという想いがあったようです。
大学時代には、1年時から全日本大学野球選手権大会でチーム33年ぶりの優勝に貢献し、1年生では史上初のMVPに選ばれたり、世界大学野球選手権日本代表に4年連続で選出されたりと輝かしい成績を残します。3年時には早稲田大学野球部第100代主将として背番号10を背負い、大学最後の年にはリーグ戦優勝、そして大学日本一にも輝きました。また、大学の4年間で、東京六大学野球史上6人目となる通算30勝300奪三振という快挙も果たしました。
決意の引退
再認識した「斎藤佑樹」という選手の価値 ファイターズ広報が明かした《引退発表からの心揺さぶられる3日間》#lovefighters #NPB https://t.co/V4xcSKXuZ2
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) October 9, 2021
北海道日本ハムファイターズに所属し、今季限りでの引退を発表した斎藤佑樹投手の経歴やプライベートについて振り返ってきました。
あらためて考えてみると、高校や大学時代の活躍、その裏にあった努力や精神的な強さには心打たれるものがありますね。
日ハムには現在、前述の清宮幸太郎選手や吉田輝星投手が所属しています。いずれも斎藤投手と同じく甲子園のヒーローとして注目されていましたが、プロの壁に苦しみ結果が出せない状況が続いている状況。そんな後輩たちにも、斎藤投手の辛抱強い姿は糧となっていくことでしょう。
現在33歳の斎藤投手。先行きはどうなるかわかりませんが、4年間の大学生活、そして光と影を経験した野球人生の中で得た知見で、きっと新たな活路も見出せるはずです。
野球ファンの垣根を超えて一世を風靡した斎藤投手の、引退という大きな決断。今後の動向に引き続き注目したい人物であることには間違いありません。
※情報は取材当時のものです