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高山彦九郎記念館|奇人?天才?幕末志士に多大な影響を与えた「高山彦九郎」の人物像に迫る!

高山彦九郎をご存知でしょうか?江戸時代中期を生きた尊王思想家で、いわば尊王攘夷の先駆者。
のちに明治維新を成し遂げる幕末の志士たちに、大きな影響を与えました。

2018年元日に放送されたNHKの正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命篇~」では、高嶋政伸さんが演じる重要な役どころ。
しかし、地元の人々でも彦九郎が何をした人物なのか、知っている人は多くありません。

「『思想家』なのはわかるけれど、結局何をした人なの?」

その謎を解明すべく、設立20周年を迎えた「高山彦九郎記念館」に潜入しました!

彦九郎の生い立ち

高山彦九郎記念館 風雲児たち 太田市

記念館では、高山彦九郎の生涯を年表で見ることができます。

1747年、彦九郎は代々名主を務める豪農の次男に生まれました。

13歳のときに読んだ『太平記』で、自分の先祖が新田義貞の家臣であることを知ります。

新田義貞は最期まで天皇への忠義を貫いた忠臣でした。

このことが、彦九郎の尊王思想の礎になったと考えられています。

18歳で初めての上京。父が亡くなった翌年の24歳で江戸に出て学問、特に儒学に励みました。

27歳から47歳で自害するまでの20年間は、妻や子どもを実家に置いて、尊王思想を広めるために北は青森から南は鹿児島まであちらこちらへ旅をしています。

各地の名だたる著名人と交流をもち、当時は少数派だった尊王思想を危険を顧みず人々へ伝える姿勢から、

のちに林子平・蒲生君平と並んで「寛政の三奇人」に数えられました。

「たしかに奇人」と納得してしまうエピソード

高山彦九郎記念館 風雲児たち 太田市

「奇人」とは辞書を引くと「言動や行動がふつうとは異なる人」と説明されますが、「世相に左右されない強い信念をもった人」ともいえるでしょう。

しかし、「なるほど奇人だ」と納得してしまうような逸話も。ひとつは18歳で上京した折のこと。

人目もはばからず三条橋の上で御所に向かってひざまずき、号泣しながら拝んだことは有名で、現在も京都三条駅前にその時の様子を表した彦九郎の銅像が残されています。

その姿から俗に「土下座像」とも呼ばれているようですが、この姿勢の銅像って、かなり珍しいですよね…。

また京都でのもうひとつの有名な逸話は、足利尊氏の墓を泣きながら何度も何度も鞭打ったこと。

高山家の主人であり、天皇に忠義を尽くした新田義貞に反旗を翻した尊氏を、どうしても許せなかったようです。

言いかえれば、それだけ尊王思想に一途で純粋だったともいえます。

家族を悩ませた3年間の服喪

彦九郎は尊敬する祖母を40歳で亡くしました。

祖母が亡くなった際には墓前に喪屋を立て、3年間ものあいだ喪に服します。これに困ったのは家族。

特に父親が亡くなってからは地主として、高山家の大黒柱として、めったに家に帰ってこない弟の妻や子どもを養う責任も負ったと推測される5歳年上の兄・高山専蔵は激怒し、喪に服すことを悪事として訴えました。

結果、彦九郎は江戸で入牢。

すぐに出られたようですが、そのまま家には帰らず江戸に残ります。

『解体新書』の翻訳者で友人の前野良沢は、心配して兄との仲をとりもとうとしましたが、彦九郎は旅先の久留米で没するまで家には帰らなかったようです。

高山彦九郎記念館 風雲児たち 太田市

今はすっかり畑となった彦九郎邸宅跡地。

専蔵邸宅といったほうがよさそうな気もしますが…。どの国でも天才の家族は苦労をしていますね。

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幕末藩士に及ぼした影響がすごい

高山彦九郎記念館 風雲児たち 太田市

1892(明治25)年に彦九郎の百回忌を記念して「遺髪塚」が建設されました。

その以前から細谷町に彦九郎の墓があることは有名で、

1860年に高杉晋作、1862年に久坂玄瑞、中岡慎太郎が墓参りに訪れています。

西郷隆盛は入獄中に彦九郎を称える詩を詠んだそう。

ほかにも多くの幕末志士が何かというと彼の名を出して士気を高めています。

なかでも吉田松陰は彦九郎に心酔し、さまざまな人との文通のなかでたびたび彦九郎について触れています。

「松陰」の名も彦九郎の忌名からとったという説が有力です。

まとめ

高山彦九郎記念館 風雲児たち 太田市

知れば知るほど「それで、何をした人なの?」という疑問が深くなる謎の人物・高山彦九郎。

彼の功績は、簡単にまとめると以下の点にあるのではないかと思われます。

① 幕府が絶対だった江戸時代中期において、時代の先を読んだ尊王思想を人々に説いた

② 20年間旅をして「高山彦九郎日記」を残し、当時の風習や世相を後世に残した

③ 公家・大名・学者・歌人・士農工商の身分にかかわらず5千人以上と交流をもち、ネットワークを築いた

④ 幕末志士の明治維新に向けての原動力となった

⑤ 多くの人が、その一途さ、人柄に魅了され、彦九郎の力になろうとした

あまり家に寄りつかず各地を転々としていた彦九郎ですが、東北、江戸、京都、九州いずれの地でも彼の協力者が大勢いました。

多くの人に「力になりたい」と思わせる人柄と行動。

いい意味での「人たらし」であったことが、彼のいちばんの魅力だったのかもしれません。

【高山彦九郎記念館】

開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)

休館日:
月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12/29~1/3)

入館料:
個人100円
団体80円(20名以上)
中学生以下無料

TEL:0276-32-5632

FAX:0276-32-5634

HP: http://www5.wind.ne.jp/hikokuro/

所在地:群馬県太田市細谷町1324-7






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