高崎市の地勝寺|市指定重要文化財の石造薬師如来座像・一石阿弥陀三尊像に厄除け祈願!
閑静な住宅地の中にある地勝寺。
その境内には高崎市重要文化財に指定される、めずらしい石像が立ち並びます。
南北朝時代に造られた石造薬師如来座像と一石阿弥陀三尊像。
今回は、どこかレトロな雰囲気が漂う地勝寺に足を運び、この石像や境内を取材してきましたのでご紹介します。
地勝寺の創建・由来
今回ご紹介する地勝寺は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、この地を治めていた小串氏のお墓があるお寺です。
小串氏とは、源頼朝が奈良東大寺の供養に行く際に随行したとされる、小串右馬介が祖先。
武田信玄が上野を侵攻し箕輪城を落城しましたが、その際領主として小串氏がこの地に土着したと言われています。
現在、高崎市吉井町にある地勝寺は小串氏の居館。遺構は残っていませんが小串氏の菩薩寺とされています。
実はこのお寺、慶長10年に創建された当初は「地蔵寺」と呼ばれていたそう。
その後、勝持寺と合併し、地勝寺へと改称されたようです。
地勝寺に立ち並ぶ石造薬師如来座像と一石阿弥陀三尊像
このお寺には、南朝時代に造られたといわれる石造薬師如来座像と一石阿弥陀三尊像があり、小串地勝寺石仏群と呼ばれています。2つの石像をご紹介しましょう。
一石阿弥陀三尊像
山門左手に見えるのが一石阿弥陀三尊像。
不思議なただずまいの石像で1つの石の中に3つの阿弥陀像が彫られています。
小串の地勝寺境内にあり、中世石仏彫刻である。一体は堂宇内にある。牛伏砂岩の石造薬師如来座像で南北朝時代の作である。像容は左手に薬壷を持ち、通肩厚肉彫りで、首に三道があり、肩はなで肩である。光背は舟形をしている。大きさは総高66.0センチメール、総幅35.5センチメール、像高35.5センチメール、像幅25.5センチメールである。(群馬県史石造彫刻No.365)
石造薬師如来座像
こちらが、本堂近く、堂宇内に鎮座する石造薬師如来座像。
小串の地勝寺境内にあり、中世石仏彫刻である。一体は堂宇内にある。牛伏砂岩の石造薬師如来座像で南北朝時代の作である。像容は左手に薬壷を持ち、通肩厚肉彫りで、首に三道があり、肩はなで肩である。光背は舟形をしている。大きさは総高66.0センチメール、総幅35.5センチメール、像高35.5センチメール、像幅25.5センチメールである。(群馬県史石造彫刻No.365)
このように地勝寺には、南北朝時代に造られた歴史的価値のある文化財があります。
ご利益は?
地勝寺の石造薬師如来座像と一石阿弥陀三尊像には、いったいどんなご利益があるのでしょうか?
薬師如来像には病気平癒や健康長寿・災難除去・安産など。
また阿弥陀如来には、極楽往生や現世安穏のご利益があるといわれています。
本堂や境内様子
地勝寺内をもう少し歩き回ってみます。
山門近くの石仏群から先へ進むと、真っ赤な帽子と前掛けを身に着けたお地蔵様が並びます。
そしてその隣が本堂。手を合わせて参拝します。
扉には真言宗で大切な23文字の御経、光明真言が掲示されています。これは厄除けなどの力がある真言といわれています。
本堂のすぐ脇には大きな四面仏がそびえ、温かいまなざしで見守ってくれています。
地勝寺スポット情報、駐車場、アクセス
電話:027-387-6394
駐車場:あり(境内左側に5台程度)
アクセス:
車 上信越自動車道吉井ICより約10分
電車 上信電鉄馬庭駅より徒歩約20分
四季折々の花が美しい、小串カタクリの里はこちらの記事でご紹介しています。
まとめ
戦国時代に創建され、地元で活躍を遂げた小串氏の菩薩寺とも言われている「真言宗地勝寺」をご紹介しました。
南北朝時代に造られたといわれる薬師如来や阿弥陀は文化財にも指定されています。
ぜひご利益を賜りに足を運んでみませんか?
※情報は取材当時のものです。