高崎市頼政神社|源頼政公を祀る公園隣接の悪縁を絶つパワースポット
群馬県高崎市。高崎市役所からほど近い高崎公園に隣接する「頼政神社」。高崎藩主松平(大河内)家の遠祖にあたる源頼政公を祀る神社で、その社宝は高崎市指定重要文化財とされています。
市内を流れる烏川周辺の景色も眺望できる「頼政神社」をご案内しましょう。
源頼政公を祀る頼政神社とは
高崎市役所から徒歩2分ほど、高崎公園の南側に鎮座する頼政神社。平安時代の武将であり、歌人としても有名な源頼政を祀る神社です。ほかにも関東で源頼政を祭神とする神社仏閣として、茨城県古河市の頼政神社、千葉県市川市の本光寺などがあります。
神秘的な雰囲気が漂う鳥居と、どこか愛嬌ある狛犬が佇むひそかなる高崎のパワースポット。高崎公園の散歩とともに足を運び参拝する人が多くみられます。
由来とご利益
案内板に頼政神社の由来が記載されています。
元禄8年(1695年)松平右京大夫輝貞公(大河内氏)が高崎藩主に封ぜらるや、同11年(1698年)其の祖先源三位頼政公を祀って城東石上寺境内(現在東京電力営業所のある所)に頼政神社を建てた。宝永七年(1710年)輝貞公越後村上に転封せらるるや、社も亦其の地に移され、数年にして享保2年(1717年)高崎に再転封されるや社はまた現在地に移されたのである。
頼政公は、平安末期に、源家の正統に生まれた武将にして歌人である。白河法皇に擢んでられて兵庫頭となり保元、平治の乱に功をたてた。後に剃髪して世に源三位入道と称す。
後年以仁王を奉じて平氏の追討を図り事破れて治承4年(1180年)宇治平等院で自刃した。家集『源三位頼政卿集』がある。又、宮中で鵺(ぬえ)を退治した話は有名である。
当社の祭礼は、例年頼政公自刃の日、5月26日に行われ旧藩時代は上野随一の祭であったと云われる。(高崎観光協会案内板より抜粋)
日本では、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎という姿をした鵺(ぬえ)という妖獣が伝承されており、「平家物語」に源頼政が宮中で鵺を退治したという説話があります。
このことから源頼政公は源三位頼政和光尊儀(げんさんみよりまさわこうそんぎ)として祀られ、悪縁や腐れ縁を絶つというご利益があるとされています。
悪いものを払うことで幸運を導いてくれる、そんなご利益が賜れるのではないでしょうか!
境内を歩いてみる
いざ頼政神社の境内に潜入します。入口付近には石碑が立ち並びます。
境内を進むと、高崎市出身のキリスト教思想家で文学者でもある内村鑑三の「上州人」の詩碑が建てられています。
手水舎
境内奥には蔵のような建物も!
少し可愛さを醸し出す狛犬の間を通り、拝殿を参拝します。
拝殿と本殿
鳥居をくぐり拝殿へ。
裏に見える本殿。朱塗りが光に映え、神秘的な光景が広がります。
神社の裏手には光稲荷神社があります。ここから高崎公園に抜けることができます。
高崎市指定重要文化財の社宝あり!
頼政神社には高崎市の重要文化財に指定される社宝が奉納されています。
稲妻の鎧
篭手に雷文があることからその名が付けられたという「稲妻の鎧」。松平輝聴が黒船来航などの際(1830年~1843年頃)に造らせたといわれ、大鎧(おおよろい)の形に一部小札(こざね)という甲冑も用いられています。最後の高崎藩主・大河内輝声によって明治に奉納されました。
白銀造太刀
「白銀造太刀」は元禄12年(1699年)の年号が箱書に記されており、輝貞が元禄時代に武蔵野国の刀匠藤原助隣に造らせたものといわれています。
丁丑筆話
さらに、最後の高崎藩主を務めた大河内輝声が中国人と筆談をした時の記録「丁丑筆話」も。明治10年(1877年)の記録といわれています。13歳で家督を相続し、廃藩置県後は浅草今戸の自邸桂林荘(けいりんそう)で漢詩文の研究などを行っていたとのことです。
頼政神社スポット情報(営業時間・駐車場・アクセス)
定休日:なし
住所:群馬県高崎市宮元町143
電話(問い合わせ先): 027-321-1292(高崎市役所文化財保護課)
駐車場:なし
※高崎公園駐車場(無料)、あるいは周辺のコインパーキングをご利用ください
アクセス:
車 関越自動車道高崎ICより約20分
電車 JR高崎駅より徒歩約15分
頼政神社参拝と合わせて、水と緑に触れ合える公園「高崎公園」でお散歩もおすすめです
まとめ
高崎市役所からほど近い頼政神社をご紹介しました。普段は多くの家族連れなどでにぎわう高崎公園の隣にたたずむパワースポットです。
平安時代の武将、源頼政公を祭神とし、縁切りや良縁のご利益が期待できます。高崎公園散策とともに、ぜひ足を運んでみてくださいね。
※情報は取材当時のものです