高崎市五霊(ごれい)神社|高崎城の鬼門を護る古墳上の災厄除けの宮
高崎市貝沢町にある「五霊(ごれい)神社」。6世紀後半ごろの古墳上に建つこの神社は、高崎城の鬼門鎮護社として遷座奉祀されたもので古くから地域の人々に崇め敬われています。
高崎貝沢の総鎮守「五霊神社」をご紹介しましょう。
高崎の鬼門鎮護「五霊神社」
高崎市貝沢町を走る環状線沿いにある五霊神社。この地はかつて高崎城の鬼門とされていました。
鬼門とは一般的に丑と寅の間、つまり北東の方位を指します。古来より「鬼が出入りする方角」として忌むべきものとされていました。
平安京造都においては鬼門に比叡山延暦寺を置き、江戸の造都にあたっては鬼門鎮護の寺として東叡山寛永寺が建てるなど、城の鬼門・裏鬼門を守護する神社仏閣を祀り鬼門を封じたといわれます。
五霊神社は、高崎城の鬼門鎮護として創建された神社なのです。
五霊神社古墳
高崎東部公民館の隣に位置する五霊神社は45mほどある古墳上に鎮座しています。この古墳は1450年ほど前の前方後円墳とみられていますが、現在は前方部がなく後円部のみとなっており、その上に社殿が建つ状態です。
石室からはさまざまな副葬品が発見されており、現在は上野にある東京国立博物館に保管されています。
五霊神社境内
大鳥居を抜けると右手に御嶽山普寛堂と書かれた建物があり、石段前まで進むと手前左手に手水舎があります。
石段を上ると本殿・拝殿が現れます。
こちらのあざやかな赤い拝殿で無病息災、病気平癒、家内安全などを祈願しました。
境内絵馬処には、さまざまな祈願を託された絵馬が掛けられています。
拝殿近くにはご神木や三つ巴の石が置かれています。
こちらが拝殿裏の本殿。神聖な雰囲気が漂います。
さらに奥に進むと石祠があります。
群馬県高崎市貝沢町に鎮座します、五霊神社さまでは御朱印が頂けるようになりました。兼務社の御朱印も検討すると前向きな意見も頂けました。宜しければ是非とも参拝ください。#御朱印 #群馬県御朱印 #高崎市 #五霊神社 #貝沢町 #問屋町駅 pic.twitter.com/dEjBwzg6PX
— 矢背負稲荷神社 (@yaseoi_inari) July 12, 2018
社務所では、高崎鬼門鎮護社と書かれた御朱印もいただけます。初穂料は300円。
社務所が開いてない場合には社殿に書置きが置かれています。
御祭神とご利益
五霊神社の主祭神は鎌倉権五郎景政公(鎌倉景政)、配祀神は建御名方神(タケミナカタノカミ)、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)とされています。
鎌倉景政(通称・権五郎)は桓武平氏の出で、幼い頃から勇敢で腕力があったといわれています。16歳の時に右目を射られながらも敢闘したという逸話があり、没後、その功績をたたえて相州三浦に祀られていました。
当時高崎市周辺を領していた和田氏が熊野神社(現・高崎神社)・二宮神社両社とともに現在の高崎市和田に勧請したということです。
井伊直政が高崎城を築城後、1695年(元禄8年)に高崎領主・大河内右京大夫輝貞(松平輝貞)が「貝沢の地が高崎城の鬼門である」として遷座奉祀、鬼門鎮護社として五霊神社を祀ったとされています。
1907年(明治40年)には村内の無格社諏訪神社や稲荷神社を合祀、貝沢の総鎮守として地域の人々に崇められてきました。
五霊神社の配祀神である建御名方神(タケミナカタノカミ)は、全国の諏訪神社に祀られる御祭神で、軍神、風の神、狩猟・農耕の神とされています。武運長久、交通安全、五穀豊穣などご利益があるといわれます。
また、同じく配祀神の宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)は稲荷神社の御祭神で、農耕の神であることから五穀豊穣や商売繁盛のご利益があるとされています。
ご祈祷と祭典
五霊神社では厄除けをはじめ、さまざまなご祈祷ご祈願を受け付けています。
方位除け・鬼門除け・家内安全・安産・病気平癒など個人の祈願や、商売繁盛・社運隆昌・社内安全・工事安全など団体での祈願も受け付けています。また、地鎮祭・起工式・竣工式・開所開店式、家屋取壊や樹木伐採の際のお祓いなど出張祭典についても相談できます。
五霊神社施設情報(アクセス・駐車場)
電話:027-361-0430
アクセス:
車 関越自動車道高崎ICより約12分
電車 JR問屋町駅より徒歩約15分
駐車場:あり(無料※東部公民館駐車場利用)
まとめ
高崎市貝沢町、6世紀後半の古墳の上に鎮座する五霊神社いかがでしたか?
高崎城の鬼門鎮護社として、氏神様として、地域の人々を護る由緒ある神社です。厄除け・方位除け・鬼門除け・病気平癒などのご祈祷も受け付けられていますので、日々の感謝とご祈願をしに足を運んでみませんか?
※情報は取材当時のものです