高崎市の不動山古墳で古の記憶をめぐる|不動尊でお参りも
群馬県高崎市。井野川下流の右岸、群馬の森からほど近い場所に佇む古墳が不動山古墳です。この一帯の大古墳群として知られる綿貫古墳群の1つでもあります。
名前の由来となった不動明王様も鎮座する不動山古墳を訪ねてきました。
不動山古墳に到着
群馬の森の北側に位置する不動山古墳。大型の前方後円墳で、1992年3月2日、高崎市の文化財に指定されました。
かつてこの地域で大きな勢力を誇った、同一系譜の豪族がいたことを示す貴重な史跡でもあります。
広々とした駐車場から見上げるその様子は、木々が生い茂りちょっとした森のような雰囲気。
綿貫町と呼ばれるこの地域には、100メートル級の前方後円墳が3基と70メートル級が1基あり、総称として綿貫古墳群と名付けられました。
不動山古墳は70メートル級。残りの3基は普賢寺裏古墳、岩鼻二子山古墳、綿貫観音山古墳で、これらは100メートル級として数えられます。
なおこの4基のうち、岩鼻二子山古墳は大正時代に完全に平たくなってしまい、現在は目で見ることができません。
それに比べて不動山古墳は、全体の墳形がきれいに残っており、古墳の周りの堀を指す周濠がめぐっていたことも分かります。
不動山古墳について
©http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121700726/
不動山古墳は、古墳時代の5世紀後期に造られたといわれています。古墳名のルーツは後の時代、後円部の上に不動尊をお祀りしたことにあるそうです。
古墳の規模は全長94メートル。後円部の径54メートル、高さは10.1メートルを誇り、この後円部は2段になっています。前方部の幅は55メートル、高さ9.1メートル、くびれ部の幅36.5メートルです。
前方部は西側、後円部が東側にあり、北側のくびれ部分には方形の造出(つくりだし)が確認できます。
古墳に取り付けられた壇状の施設である造出は全ての古墳にあるわけではなく、中後期の大型前方後円墳などごく一部の古墳にのみ見られます。この造出は当時、祭祀を行う場所としての役割を果たしていたことが、研究により分かっています。
また前方部は土砂採取のため大きく削り取られており、現在では駐車場とっています。
後円部中央には埋葬施設があったといわれる不動山古墳。盾形の堀が外周に張られ、墳丘には円筒埴輪列が巡らされていました。
昭和37年から39年に県立博物館による大規模な調査が行われた際には、埴輪や和泉式の高坏に加え、鉄製の鍬先、土師器(はじき:素焼きの土器)などが多数出土しました。特別な円筒埴輪の配列も確認されたそうです。
不動山古墳を巡ってみました
せっかく不動山古墳に来たからにはぐるっと一周、ということで、不動尊へのお参りも兼ねて散歩をしてみました。よく晴れた気持ちの良い日でした。
まずは不動明王様の祠へ
駐車場で車を降り、古墳を前に見ながら階段を上ります。
上りきると右手に手水舎がありましたが、お水は出ていませんでした。中心には鉄製の大きな器が。線香やお香をここで焚けるのかもしれません。
不動尊の祠に到着。心を落ち着けて、厳かな気持ちでしっかりお参りしてきました。
よく見ると、祠の前には数本のはちみつレモンの缶が。きっとどなたかのお供え物ですね。
古墳の主が眠っていた舟形石棺
後円部にあたる不動尊の裏手も、造られた当初と比べるとだいぶ削平が進んでいるようです。
ここには刳抜(くりぬき)式の大きな舟形石棺があり、身の部分だけが残されています。蓋の行方は分かっていません。恐らくこの辺りに遺体を収めた主体部があったと思われます。
この石棺は凝灰岩でできており、全体的に白っぽいのが特徴です。
不動山古墳 施設情報
入場料金:無料
定休日:なし
住所:群馬県高崎市綿貫町金堀1272-3、1271-1ほか
電話(問い合わせ先):027-321-1292(高崎市役所文化財保護課)
駐車場:あり(無料・台数不明)
アクセス:
車 上信越自動車道藤岡ICより約15分
電車 JR高崎駅よりバス約30分
まとめ
今回は、古墳大国群馬県高崎市の不動山古墳を紹介しました。古墳時代の豪族たちの栄華を物語る大型前方後円墳で、綿貫古墳群の1つとしても有名です。
不動山古墳を訪れた際は、普賢寺裏古墳、岩鼻二子山古墳、綿貫観音山古墳の3基にもぜひ足を運んで、それぞれの特徴を肌で感じてみてくださいね。
※情報は取材当時のものです。