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元騎手・岡部幸雄|中央競馬トップジョッキーとして20世紀後半を駆け抜けた!成績とプロフィール

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群馬が生んだ逸材、岡部幸雄さんをご存じでしょうか。岡部さんは、1960年代後半から2000年初頭にかけてJRAのトップジョッキーとして君臨・活躍し、競馬ファンから「名手」として親しまれた天才ジョッキーです。

騎手として歴代2位となる2,943勝をあげたほか、騎手大賞2回を含め多くの賞を受賞するなど、優れた成績を残しています。
また、こちらも歴代2位となるGI37勝(うち海外1勝)をあげられ、1984年には騎乗馬が史上4頭目、無敗では史上初となるクラシック三冠を達成するなど、中央競馬の発展に多大な貢献をされました。
そんな輝かしい戦績を誇る岡部さん。競馬界では知らない人はいない超有名人ですが、そのプライベートや、本も出版されていることなどをご存じの方は少ないのではないでしょうか。この記事で岡部さんの素顔や様々なエピソードをご覧になって、ぜひ競馬界の通にも負けない岡部通になって頂ければと思います。それでは見ていきましょう!

岡部幸雄のプロフィール

岡部幸雄さんは1948年に群馬県新田郡強戸村(現:太田市)に生まれ、1967年にデビューして以後、2005年までの38年間トップジョッキーとして活躍しました。

幼い頃から馬に乗り、小学生の頃には自力で馬に乗って歩かせることができるようになったそうです。幼少期は体の弱さや身長の低さにコンプレックスを抱いていましたが、乗馬ではむしろ小柄なことは有利に働くと知って、中学生時代にはJRAの騎手を志すようになりました。中学校卒業前の秋に騎手養成所に願書を提出し、事後に父の承諾を得て受験、合格して、晴れて天才ジョッキーへの道のりを歩み始めます。

岡部さんは騎手になったことについて、祖父の影響が強かったと話しており、幼少期から馬に乗る機会が多かったことや、馬の世話をすることによって馬に対する愛情・辛さを学んだといいます。
また、祖父に連れられて足利の競馬場に多く通い、小さいころから競馬にも親しんでいました。馬との縁が深い幼少期を過ごしたことが、稀代の天才ジョッキーを生んだことがうかがえますね!

また、岡部さんは競馬ファンから「名手」の名で親しまれ、「馬優先主義」をはじめとする理念や技術を日本に持ち込んだ騎手としても有名です。JRAおいては、特定の厩舎や馬主に拘束されないフリーランス騎手の先駆けとなったことでも知られており競馬界のパイオニアでもあったのですね。

本名:岡部幸雄
生年月日:1948年(昭和23年)10月31日生
血液型:A型
身長:161cm
職業:元騎手
出身地:群馬県新田郡強戸村(現:太田市)

2005年に引退するまでの経歴・入賞成績|旭日小綬章受章

岡部さんは1967年のデビュー以降2005年までの38年間トップジョッキーとして活躍しました。1967年にデビュー後、1971年のオークスでカネヒムロへ騎乗し、初めてG1級のレースで勝利し、その後はコンスタントに重賞レースで勝利し、着実に実績を重ねていきます。1987年、1991年にはJRAの最多勝利騎手のタイトルを獲得するなど、名実ともに日本を代表する騎手となりました。

そしてなんと引退までに積み上げたJRAの通算戦績は18,647戦、勝ち星は2,943勝にものぼります。女性騎手で近年活躍を見せている藤田菜七子騎手のキャリア5年目での通算戦績が2,548戦、勝ち星が125勝であることを踏まえると、岡部さんの戦績、勝利数はとてつもない数字ですね!

さらに、2020年11月3日付けで発表された秋の叙勲受章者において、岡部さんは旭日小綬章も受章されており、その多大な功績が証されました。

家族や交友関係

岡部さんの競馬に関しての発言や経歴は知らない人はいないほど有名ですが、プライベートのことについては知らない人も多いのではないでしょうか。ここでは気になるプライベートにも触れていきます。

岡部さんは1975年12月に結婚されています。以前から競馬界にある特有のしがらみを嫌っていたため、関係者ではなく競馬とは無縁の女性と結婚した、と言われています。子供は息子さんがいると言われていますが、騎手など競馬界へは進んでいないようで情報が少なく、名前や職業に関するデータは見当たりません。

長年活躍していることから第一優先は馬のことかと思いきや、「家庭と仕事のどちらかを選ばなければならない時は躊躇なく家庭を選ぶ」とよく発言していたとのことです。家族思いであるところも、これほども実績を上げられた所以かもしれませんね!

武豊・藤田伸二|岡部幸雄の方が強かった??

次は競馬界の暴れん坊こと藤田伸二さん、競馬ファン以外でもその名を知らない人はいない武豊さんとの関係を見て行きましょう。藤田伸二さんは、自身のブログの中で読者からの質問に対し、「彼も嫌いなはずだ」「昔はよくケンカもした」と返しているなど、ふたりの関係はあまり良好では無かったようです。

一方で藤田さんは岡部さんの騎乗技術やムチの使い方を、また岡部さんも藤田さんの安全に配慮した乗り方を高く評価しており、競馬・騎乗の技術に関してはお互いに評価している点はあったそうです。お互い競馬に対するこだわりが強く、譲り合うことができなかったのかもしれませんね。

他方、武豊さんとの関係は非常に良好で、岡部さんの引退時、武さんは岡部さんが海外で騎乗したことに刺激を受けたとコメントしています。
また武さんは1994年、岡部さんについて、「今年、何度も海外に行って、岡部さんの偉大さがつくづくわかりました。僕があの人の影響を凄く受けていた、ということにも気づいた。向こうでの振る舞い方、現地の関係者との接し方、あと、自分の存在感の作り方というのかな、参考になることばかりです。」と述べるなど、その関係性の良さ、武さんから岡部さんに対する尊敬の念が見て取れますね!

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タレント岡部玲子は娘?

ここでもう一人岡部さんと縁のある、岡部玲子さんをご紹介しましょう。岡部玲子さんは、アイドル活動を経てめざましテレビのリポーターも務めた後、グリーンチャンネルの競馬番組などを担当されています。気になる岡部幸雄さんとの関係ですが、親子ではなくかなり遠い親戚とのことです。

岡部玲子さんも子供の頃、親戚の方から「岡部幸雄さんとは親戚」と聞かされた程度とのことで、直接お会いになったのは競馬関係の仕事を始めた以降という間柄でした。
一方で、岡部幸雄さんが親戚にいるという関係は、仕事においてポジティブな影響があった可能性は高いでしょう!
現在は二児の母となり、家庭と仕事の両立に日々奮闘しているとのことで、岡部幸雄さんと同様、岡部玲子さんも応援し続けたいですね!

引退までのエピソード|引退理由は年齢?プライド?

岡部さんは2005年3月に騎手免許を返上し引退していますが、引退を決断した最大の理由は度重なるケガや、年齢による衰えで思い通りの騎乗が出来なくなったことだといわれています。2005年2月20日の東京で騎乗を終えた後、引退を決意し、翌21日には恩人として慕う兄弟子の高橋英夫元調教師を訪ねて、引退を報告したといわれています。岡部さんは「寒さで参ってしまって体が耐えられなくなった。限界を感じたのでやめます」と告げたそうです。

ただ一方で、体の維持・ケアは怠らず、50代を過ぎた後でも20代のような肉体とも言われていたそうです。
それでも引退を決意したのは、競馬ファンへの期待に応えること、大好きな馬からの期待に応えることにこだわっていたからこその岡部さんのプライドにあったのかもしれません。

まさにプロフェッショナルこその決断だと言えます。4,000本を超える安打で野球ファンを魅了した、イチロー選手などとも通じるところもあるまさに職人ですね!

優駿牝馬オークスとのエピソード

明日からいよいよ6月に突入! 関東地方も梅雨入りしましたが、日曜の安田記念(GI)当日は晴れるといいですね。

東京競馬の連続5週GIシリーズもいよいよ最終戦。…

JRA(日本中央競馬会)さんの投稿 2013年5月31日金曜日

ここではJRAの大一番、優駿牝馬(オークス)での優勝までの経歴をみていきます。

岡部さんは1967年のデビュー後。2年目の1968年に牝馬東京タイムズ杯で優勝して重賞初制覇を達成しました。翌1969年には関東リーディングジョッキーで2位を獲得、1971年には優駿牝馬(オークス)を優勝して八大競走初制覇を達成するなどデビューされた当初から大活躍されています。

岡部さんが初めてオークスで優勝した際の騎乗馬として「カネヒムロ」が知られています。岡部さんが手綱を引いたものの、オッズは10番人気と低い評価でした。競走当日、前日まで降り続いた雨で競馬場はドロドロ。そんな中、1番人気のナスノカオリがこの泥に脚を取られて失速した代わりに、カネヒムロが大外からぐんぐんと他の馬を抜き去り、1馬身差を付けての優勝を果たしたエピソードは、今も語り継がれています。

トップジョッキーはなぜ桜花賞で勝てなかったのか

これほどの輝かしい戦績を誇る岡部さん。しかし、桜花賞での勝利はありません。なぜなのでしょうか?

今までの岡部さんの戦績を見ると、比較的長距離の戦いを得意にしていたことが想定されます。1990年の安田記念では短距離G1の勝利を収めていますが、そのほかに短距離の目立った勝利はなく、短距離戦は不得意ではなかったのではないか、というのが結論として考えられます。

稀代の天才ジョッキーでも、勝てなかった試合があったのですね。逆に言えば、短所を克服するのではなく、長所を伸ばすことで成功を収めた代表例ということもできるかもしれません!

著書|続々 馬、優先主義

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©https://www.amazon.co.jp

ジョッキーとして大活躍した岡部さん。実は本を出版するなど作家としての活動もされています。「続々馬、優先主義」。岡部さんは小さいころからアメリカの競馬に感化され、「馬優先主義」をはじめとする理念や技術を日本に持ち込んだことも知られています。
競馬に対するこだわりとともに、馬への愛情が現れる著書でもあり、競馬通はもちろん、これから競馬を始めてみようかと考えている方にも響く良書であるはずです。競馬は、野球やサッカーと違ってファンは実際に馬に接することはないので、ジョッキーのエッセイはその本質を知るいい機会になるかもしれません。ぜひ手に取って読んでみてください!

岡部幸雄の名言から学ぶ|「馬から競馬を教わった」

岡部さんの引退セレモニーでの名言があります。それが、「馬から競馬を教わった」という言葉です。

これほどの実績を積みながら、天狗になることなく、最後まで馬への愛情や競馬へのこだわり・思いを貫いてきたこと、さらには馬の声や体調などを常に気にかけ、馬に負担をかけないように心がけるなど、幼少期から馬の育成にもあたっていた岡部さんだからこそ、この言葉が出たのでしょう。

自分がすべてやった、というのではなく、「馬から教わった」と言える心の豊かさや広さ、お世話になったもの・ことへの感謝の念を忘れない姿勢を、私たちも学んでいきたいですね!

まとめ

さぁ、ついにゴールデンウィーク突入ですが、いよいよ今週日曜は天皇賞(春)(GⅠ)!

JRAホームページの「注目レース」では、「安藤勝己×岡部幸雄 天皇賞(春)スペシャル対談」を公開中です。

元騎手ならではの視点で、レースの見所や…

JRA(日本中央競馬会)さんの投稿 2013年4月26日金曜日

群馬が生んだ天才ジョッキー岡部幸雄さんの競馬人生、プライベートや引退にあたっての名言などを深堀して書いてきました。

自分が愛する者へのこだわりや愛情、感謝の思いを能動的にもってこそ、輝かしい実績やファンから親しまれ、愛される存在になれるということを体現された方だということが分かったのではないでしょうか。

これは競馬に限ったことではなく、ほかのどんなことにも共通する考えだと思います。私たちもこの姿勢を学び、日々自分の好きなことに対するこだわりや愛情をもって向き合い、ぜひ周囲から愛される存在を目指していきましょう!

※情報は取材当時のものです

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