箕輪城跡を散策|ふれあい市で御城印ももらえる高崎市の観光スポット
群馬県高崎市、榛名山の麓にある箕輪城跡。戦国時代にさまざまな武将が統治したことで知られています。現在は城址公園として整備されており観光客や城マニアが足を運ぶ人気スポットです。
国指定史跡であり、日本100名城にも選定されている箕輪城の御城印やグッズなどの情報なども合わせてご紹介しましょう。
天然の要害を利用して築かれた箕輪城
箕輪城は、群馬県高崎市、榛名山の東南麓に広がる標高270mの独立丘陵に築かれた、面積47ヘクタールという関東屈指の大規模な平山城です。
西は榛名白川の断崖、南は椿名沼という天然の要害を利用して堀や曲輪をめぐらせた大城郭となっています。
現在の城址には、石垣・土塁・空堀の一部が残されています。
国指定史跡箕輪城の歴史
いまから500年以上前に築かれた箕輪城。
その歴史は高崎市公式サイトで以下のように記されています。
箕輪城は、浜川地域(高崎市)を中心に活動していた長野氏によって、1500年頃に築城されました。長野氏時代には、業尚(なりひさ)、憲業(のりなり)、業政(なりまさ)、業盛(なりもり)の4代が箕輪城を本拠にしていたと考えられています。群雄割拠する西上野において、その後の領主は、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と移り変わりますが、箕輪城は西上野の中核的な城として改修が繰り返されました。慶長3年(1598)、最後の城主井伊直政が城を高崎に移し、箕輪城はおよそ1世紀の歴史に幕を閉じました。
引用元:http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121600330/
箕輪城を築城した長野氏は、武田信玄・北条氏康・上杉謙信の三雄が上野国にて勢力争いをしていた戦国の世に、関東管領・山内上杉家の再興をはかるため奮戦していた武将です。
箕輪城が武田氏の手に落ちるまでの60余年にわたり城を守り抜き、とくに3代目の長野業政は領民のために尽くし善政を敷いた名城主として語り継がれています。
搦手口より散策開始
箕輪城には7か所の入り口がありますが、そのうちの搦手口(からめてぐち)は、長野氏から北条氏統治時代の大手口、すなわち城の表口だったとのことです。
今回は、大駐車場から近く、二の丸・本丸にも近い、その搦手口より入ってみました。
二の丸から本丸へ
搦手口から登っていくと大きな広場のような二の丸に到着します。
さらに進んでいくと本丸。梅雨時期には美しい紫陽花がみられます。
広大な敷地の本丸は、静けさに包まれています。静かで整備されているので、高崎観光のあいまに散策するのにもピッタリです!
御前曲輪と稲荷曲輪
これをさらに進んでいくと、城の精神的中心地であった御前曲輪や稲荷曲輪などがあります。
御前曲輪には石碑が多数並び井戸もあります。鬱蒼とした緑に包まれ歴史を感じることができます。
二の丸から南側を散策
二の丸の南側には郭馬出しがあり、周辺には大堀切や木俣がみられます。
井伊直政時代の櫓門「郭馬出西虎口門」は見どころ
そして、その先には2016年に復元された郭馬出西虎口門があり、戦国時代当時の雰囲気を醸し出します。
この門は徳川家康の家臣で、12万石の城主となった井伊直政の時代の櫓門(やぐらもん)で、箕輪城の中でも最大規模の城門であったといわれます。
箕輪城ふれあい市で御城印をゲットせよ!
箕輪城跡大駐車場では、毎週日曜日にふれあい市が開催されています。地元産の新鮮野菜や手作り品などが並び、箕輪城グッズなどの販売もされています。
巷ではあまりみることのない箕輪城グッズで、お城マニアにたまらないアイテムばかり。
ふれあい市では箕輪城の御朱印ならぬ御城印ももらえます。
長野家の家紋と井伊家と家紋から選べて、色は4種類ずつ、合計8種類から選べます。
またSNSでハッシュタグ #あなたもわたしも箕輪衆作戦 をつけて投稿すると、素敵な缶バッヂももらえますのでお見逃しなく!
開催日時:毎週日曜日10:00~14:00(雨天中止)
御城印価格:1枚300円(税込)
日本100名城スタンプ設置場所
日本100名城にも選定されている箕輪城のスタンプは、紛失の恐れがあるため城址内には設置されていません。
高崎市役所箕郷支所ほか、以下の場所で押すことができます。箕輪城址から2kmほどの距離にあります。
※休日は裏口へお回りください
開館時間:8:30~17:15
開館時間:9:00~17:00
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箕輪城スポット情報(営業時間・定休日・駐車場・アクセス)
定休日:なし
住所:群馬県高崎市箕郷町東明屋
問合せ先:027-371-5111(高崎市箕郷支所産業課)
駐車場:あり(無料・約80台)
アクセス:
車 関越自動車道高崎・前橋ICより約30分
電車 JR高崎駅よりバス約35分
まとめ
戦国の世に天然の要害ともいわれる地形を生かして築かれた箕輪城跡いかがでしたか?
西暦1500年頃に長野氏によって築城され、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と主が変えながら最後は井伊直政によって統治、廃城となりました。
広大で整備された城跡内は大自然とともに歴史を感じながら散策できます。東屋もあるので、お散歩中、ウォーキング中の休憩もでき安心です。
毎週日曜日には大駐車場にてふれあい市も開催され、御城印をはじめ、さまざまなグッズ、地元の農作物の販売もされています。
高崎市周辺観光とともに、ぜひ一度箕輪城跡にも足を運んでみてくださいね!
※情報は取材当時のものです
よい記事をありがとうございます。
御城印が取材時よりかなり
バリエーション豊かになっております。
どうぞ、追加の取材をお願いいたします。