猿ヶ京城の御城印|上杉謙信命名の地にコレクター必見のレアな御城印【みなかみ町猿ヶ京温泉】
みなかみ町と言えば真田氏にちなんだ名胡桃城が人気。
御城印集めに足を運ぶ人も多い人気の城ですが、同じみなかみ町で知る人ぞ知るレアな御城印が登場しました。
上杉謙信にゆかりの猿ヶ京城と御城印の購入できる場所や料金などをご紹介します。
御城印の舞台となる猿ヶ京城とは?
群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京地区にかつてあったといわれる猿ヶ京城。
正確な築城年数はわかっていませんが、誕生したのは上杉謙信がこの地を猿ヶ京と名付けた1690年(元禄3年)から10年ほど後の1700年頃。古文書に猿ヶ京城の名前が見られ、この時期に誕生したのではと言い伝えられています。
三方を崩れやすい岩の崖で囲まれ、現在の赤谷湖に突き出した半島の先端に位置。北側は二重の空堀で防備された崖端城という形をしていました。
その大きさは東西・南北約180mの逆三角形で底辺部が二の丸北側の外堀、西よりには追手虎口が開き、二の丸は南北約60m、北側には平坦な土地が続いていました。
二の丸土居は追手虎口の東で南側に折れ、本丸堀切と接する部分に虎口を構成。
残念なことに、現在二の丸の外堀や高土居はほぼ失われてしまっています。
本丸堀切は長さ120m、東側の折に本丸虎口があり、土居外堀は良好な状態で残されています。
上杉謙信にゆかりのある猿ヶ京城の今
戦国時代、現在の猿ヶ京地区は宮野と呼ばれていました。
当時この地にあった宮野城に上杉謙信が一泊した際、8本の歯が抜けた夢を見て不吉な思いを抱いたところ、直江山城守兼続に「関八州を手に入れる吉兆」と励まされたのだそう。
この言葉をきっかけに、申年であったこの年、申年生まれの謙信はこの地を猿ヶ京と名付けたと言い伝えられています。
そして月日は流れ、かつて猿ヶ京城があった場所に現在はホテル湖城閣が建っています。
名物風呂が沢山あることでも有名ですよ。
ホテルの前には城の案内板、石籠が見られます。
またかつての栄光を静かに忍んでいるかのように、観音様が赤谷湖の方を望んでいます。
レアな猿ヶ京御城印は2種類あり
猿ヶ京御城印 300円
紙と木の紙の2種類がありますが値段は同じ。
今回は木の御城印を入手してみました。
群馬県産の木を使って作られた紙に、謙信命名の地そして堂々とした「猿ヶ京城」の文字がプリントされています。
もちろん普通の白い紙に印刷された御城印もあるので、好きな方を選べます。
登城記念日は自分で記入できますよ。
ぜひ、城址見物とともに入手してみてくださいね。
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御城印入手場所
御城印は、猿が京エリアの2箇所で販売されています。
ちなみに筆者はまんてん星の湯で購入しました。
まんてん星の湯
定休日:火曜日(祝日は営業)
住所:群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉1150−1
電話:0278−66−1126
アクセス:
車 関越自動車道月夜野ICより約25分
電車 上越新幹線上毛高原駅よりバス約35分
公式HP:https://www.mantenboshinoyu.com
猿ヶ京関所歴史資料館
4月〜11月9:00〜16:00
12月〜3月10:00〜15:00
定休日:水・木曜日
住所:群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉1144
電話:0278−66−1156
アクセス:
車 関越自動車道月夜野ICより約25分
電車 上越新幹線上毛高原駅よりバス約35分
公式HP:https://www.town.minakami.gunma.jp/
猿ヶ京城御城印問い合わせ先
住所:群馬県利根郡みなかみ町月夜野1744−1
問い合わせ先:0278−62−0401(みなかみ町観光協会)
公式HP:http://www.enjoy-minakami.jp
まとめ
みなかみ町の猿ヶ京城跡と御城印そして販売場所をご紹介しました。
赤谷湖の辺りにあったかつての城は名残を惜しむかのようにホテル湖城閣へと代わりましたが、現在は城址の一部をところどころに見ることができます。
上杉謙信ゆかりの地、猿ヶ京の観光を楽しみながら、ぜひ御城印を入手してみてくださいね。
※情報は掲載当時のものです